学生辞めますかスマホ辞めますか?

2015年4月26日
テーマ 

ある国立大学法人の入学式で、学長が、新入生に対して、「学生辞めますか、スマホ辞めますか」と述べたことが話題になっています。

 

これについては、各世代立場から、いろいろな意見が寄せられています。

 

学長に反対する意見は、スマホは悪モノとの決めつけがあり、スマホが日常生活に溶け込んでいる現実を理解していない、学生が知識を得、世の中の情報を把握するためにも必要と言います。

 

学長の意見に賛同する意見は、スマホの使い方等で嫌な思いをした経験から、マイナスイメージを持たれたものであると思われます。

まず、街中、駅や道路でスマホをいじっている人と遭遇して、自分が、あるいはその人が、危険な目に遭った現実を言うのことから始まり、例えば、授業中や会議中に人の話を聞くではなく、常識がない、バカになる等の意見が寄せられているようです。

 

私は、機械オンチであり、新しいものについていけない人間です。

 

そんなこと、全く自慢にならないなですが、今のところ、スマホが無くても生きてはいけます。

でも、スマホを知らないために、知識情報を得ることがなく、独りよがりで成長していないと思っております。

スマホを使う使わないは、どちらでも良いと考えております。

 

ただ、なぜこの学長は、大学の入学式でこんな発言をしたのでしょう。

 

この大学に入って、この大学で学ぶことの意義、この大学でなければ経験できないことの重要性を言いたかったのではないでしょうか。

別に、スマホを辞めない学生は、処分の対象になると言うわけではないのだと思います。

都会の喧騒を離れたこの場所で学び、ここでしかできないこと、この風土で培われ、受け継がれた全てを、自らの頭で考え、体得してもらいたいのでは?

 

すなわち、この大学でなければならない独自性を訴えたかったのではないでしょうか。

 

そんな受け取り方でおりましたら、この大学の在学生が、私の考えるところと同視の投稿をしておりました。

近時、自分で考える機会が減ったと感じます。

例えば、携帯が普及して、自ら文字を書く頻度が減り、漢字を書けない若者は増えていると思います。

 

スマホでたちまち調べることができ、学生論文も、その引き写しが多いと嘆く大学教員を知っています。

ある企業の就活担当者が、ある大学で、その説明をしているときに、会場にいた学生の多くがスマホをいじっていたので、憤慨して帰ってしまったと報じられたことがありました。

 

この学生もさるもの、この企業の情報は、担当者の話を聞くよりも、スマホから企業情報を得た方が、正確でわかりやすいとのことでした。

スマホが日常生活に取り込まれているのであれば、その使い方は、各人の自由であると言わざるを得ません。

 

冒頭挙げた国立大学法人の学長は、この大学で学ぶ意義を感じて欲しい、せっかくこの大学に入ったのだから、スマホで即座に知る既存の情報から一歩抜け出した自分の頭と体で感じたところをスマホで得るのと同様、日常生活に取り入れてもらいたいと言われたのだと思います。

 

そんな思いで朝の通勤電車に乗車しておりましたら、7人掛けの座席に座る乗客全員が、スマホをいじっておりました、、、、。