政府与党が放送法を盾に、NHKとテレビ朝日の関係者を呼び出して『調査』をしたことは、表現の自由、国民の知る権利の観点から、見過ごすことはできないと考えます。 一部報道機関を除いて、ジャーナリストのほとんどが、私見と同様だと思っています。 不偏不党公正中立は、権力の介入を許さない、報道機関の自主的規律を意味するものであります。ある新聞社の海外支局長が、日本国内での多くの報道機関の叫びを受けて、訴追後帰国が許された件では、わざわざ当人を官邸に招いてその労をねぎらったことと、対をなしていると感じます。 さて、表現の自由、言論の自由の観点から、最近もうひとつ見過ごすことができない事実があります。 安倍内閣は、連休明けにも、先に閣議決定した集団的自衛権行使容認を具体化する一連の法案を、国会に提出する予定です。この19くらいにもなると言われる法案に反対する立場の野党議員が、これらを『戦争法案』と表現したことに噛み付いて、与党側は、これの撤回を求めている件です。 これまで、国会議員や国務大臣の失言、放言は数限りなくありました。与党側は、あたかも政府与党が提出する法案は、戦争をするものであるかに揶揄し、レッテル貼りするもので許されないと仰っております。確かに、政府与党は、まして、自民党や安倍内閣を支持する方々も、積極的に戦争したいとは、お考えではないでしょう。 問題は、『戦闘地域』に行き、同盟国を『軍事支援』することが、戦争に巻き込まれることに繋がるのでは?と言う不安です。実際安倍首相は、自衛隊が戦闘地域に行って攻撃を受けたら、武器の使用をすることになると、国会で答弁しました。殺し殺されることは、戦争の本質ではありませんか。 集団的自衛権を発動するかどうかは、政府の判断でなされます。現時点では、『平和の党』を標榜して与党側に位置する政党が、自衛隊の派遣は、常に国会の事前承認を要すると主張しておりますが、そうだとしても、巨大与党の現実からして、結局承認手続に数日要するだけで、同盟国が現に行っている戦争に、参戦することになるでしょう。 先のイラク戦争は、大量破壊兵器を保持するサダムフセイン大統領率いるイラクの脅威から、国際社会を守るためと言う大義名分で、アメリカ合衆国が、『先制攻撃』して引き起こされました。ところが、アメリカ自身が、大量破壊兵器は存在せず、イラク戦争の大義はなかったと誤りを認めているのです。 同盟国が現に行っているどんな戦争に、集団的自衛権を発動して軍事支援するのかの点について、安倍首相は、「個別具体的、総合的に判断する」と答弁しています。仮に、同盟国が先制攻撃を仕掛けた戦争の『戦闘地域』に行って『後方支援』ではなく、今度は『軍事支援』したら、自衛隊員に被害が生じるに留まらず、『戦闘地域』から遠く離れた『同盟国』自体ではなく、その基地等を提供する日本国そのものが、攻撃にさらされる危険性があるのです。 さて、これらを推進する立法について、『戦争法案』と表現することが、それほどこの法案の実態に反しているとは、少なくとも戦後世代で憲法を学び、その恩恵に浴している私からは思えません、それではなんと表現いたしますか。 それはそれとして、より本質的な問題は、国会議員が、国会委員会でなした発言について、同じ国会議員が問題にしていることです。国会こそ国民を代表する国権の最高機関ではありませんか。多種多様な国民の意見を出し合い、議論するのは当然だと考えます。だからこそ、国会議員には、憲法上免責特権が認めれているのです。 時として国会では聞くに耐えないヤジや暴言が飛び出します。 昨年国会の委員会で、結婚や出産をしない女性議員に対して、ヤジを飛ばした議員が、後日謝罪しました。 もっとも、国会の委員会に、答弁のため出席を求められた内閣を構成するある大臣が、議員の質問とはなんの関係もないのに、この議員が所属する政党は、かつて日教組から金員を得ていたからと言う理由で、突然『日教組!』と叫んだことについて、寄付金他は一切授受はなく、完全な誤認であったことが判明した後も、その発言、否ヤジに関して、責任を問われたとは聞いたことがありません。 国会議員の先生方の国会での発言の基準は、わかりかねるものであります。