乗客乗員150名の生存が絶望視されているフランス南部に墜落したジャーマンウイングスの航空機事故は、副操縦士が、機長をコックピットから閉め出して、故意に機体を破壊した事件の様相を示して来たと報道されています。
同時多発テロ以来、コックピットは、操縦室の外側からは、操縦士の意思に関係なく立ち入ることは絶対に出来ない仕組みになっているそうです。
報道されたところが事実だとするなら、万全なテロ対策が、今回は裏目に出たことになります。
操縦士が、故意に乗客を乗せて操縦する航空機を破壊墜落させるとは、想像を絶する行為であると世界中は驚きです。
150人もの尊い命を道連れに破滅するのは、自殺とは言わないと現地捜査官の弁であります。 電車バスや船等公共交通機関で 、乗客を道連れに、故意に事件を起こした事例は、私の記憶の中にはありません。
ですが、航空機に限っては、結構その例を聞くことがあります。記憶が新しいところでは、昨年マレーシア航空機が、大きく航空路を離れて消息を絶って、燃料切れでおそらくインド洋に墜落したとされる事件があります。
若い方は、ご存知ないかもしれませんが、日本でも同じような事件がありました。昭和57年2月9日朝、福岡空港から羽田空港に向かった日本航空のDC8型機が、最終の着陸態勢に入った後、滑走路手前の羽田沖に墜落した事件です。
この事故では、24名が、亡くなりました。
当時『逆噴射』の言葉が流行してしまうほど、これは精神分裂病(報道では断定されませんでしたが、)の機長による異常操縦が原因とされたものです。
航空会社は、操縦士等スタッフの健康管理には、万全の対応をしているはずです。
しかし、精神を病んでいる操縦士が存在することも事実です。
現代社会で、人が生きて行くには、職種ポジション等に関わりなく、相当なストレスを抱えるのが現実です。
ジャーマンウイングスのケースはどうなのかわかりませんが、人の生命や権利を預かる立場のプロは、ストレスを抱えてはなりません。
本件は、格安航空会社で発生した事故であることは、事故原因とは直結しないとされています。ただ、同社の乗務員が、事故後業務をボイコットしたことは気になります。
私たちは、ときとしてプロに命を預ける状況に至ります。ただ、プロはプロであるがゆえに、プライドがあるでしょうし、なかなか外から、その人の内的状況まで知ることは困難です。
今回の事件が、副操縦士の異常操縦で終わらせることなく、なぜそうなってしまったのが、そこに至る間接的な事情も解明し、世界各国で、対応を考えなければならないと思います。
歴史は、常に尊い命の上に成り立っていると思います。
きさらぎ法律事務所を訪れ、弁護士福本悟の依頼者となった方には、よく申し上げる言葉があります。
「あなたが抱えた問題の解決には、法律も判例もありません。この『生の事実』は変えられない。あなただけに存在する事実。この事実を前提に解決できるのは、依頼者と弁護士との信頼関係、ただそれだけです。」
これは、誤解を招く言い方かもしれません。
法律専門家が、法律も判例ないなんて!これは、心構えと言うか戒めです。よく、これこれの裁判があった、私の場合、当てはまりますか?などとご質問を受けることがあります。
皆さん、ご自分の有利な例を探し、また、期待する答えが欲しくて弁護士のところにいらっしゃいます。しかし、それに留まっていたら、解決にはならないことがほとんどです。
人それぞれ、人生いろいろ、全く同じ人生の軌跡はありません。あなたの人生だからです。
そんな話を時間をかけてしながら、心の機微に触れて、互いに信頼関係が持てるか?に進みます。あなたにとっての到達点、私は、よく隠れた幸せと表現することがありますが、そこに向かってブレることなく、プロセスを踏んで一緒にやって行けるか、ここまで話し合って信頼関係が構築できたならば、あとはひとつの流れに乗って、行き着くところに辿り着く、要は、『成るように成る』のです。
それが過去の類似した、何処かで見たことのある判例に似た結論だったかもしれません。また、ある法律の何条に当てはまっていたと気づくかもしれません。
これまでNHK朝ドラ『マッサン』をしつこく話してまいりました。
マッサンの信念、『男は曲げたら終わりじゃ!』は俊兄の言葉でしたが、人に合わせる、その人にとって最高のものが最高なのだとも、説かれておりました。
鴨居の大将ことサントリー創業者の鳥居信次郎氏は、客にこちらから歩み寄ると言いました。
戦争に駆り出され、シベリアで過酷な日々を強いられた甥の悟からは、本物も偽物もない、ウイスキーは、飲む人その人に美味しければ良いのだと指摘されました。
そうです。
その人それぞれの人生、その人ただひとりの人生、その人だけの、その人の独りよがりの幸せのため、自分はどうすべきかを考えるべきなのです。
そんな観点から、私は、依頼者となった方には、あなたひとりの、あなただけの事実、これは誰も変えられない。これを踏まえてどうすべきか一緒に考えていきましょうとお話しいたします。
少しでも信じていただけたならば、信頼関係が構築できたならば、解決出来ない問題はないと言い切っています。
マッサンから学んだこの数ヶ月、無駄にしないと戒める次第です。
最近魚の価額が高騰しております。
消費税の影響ではありません。魚が獲れなくなっているのです。
漁獲量の激減が原因です。居酒屋の定番、アジ、ホッケの値段は、仕入れ値で言えば、2倍近くに高騰しているようです。
魚は、四方を海に囲まれた日本では、米と並んで昔から食卓に並んだ文化の代表であり、魚が食べにくくなったら、食卓はかなり変わるのではと思います。
ここにも地球温暖化の影響はあるのでしょうが、乱獲による資源の枯渇が原因だとされます。
確かに2月の札幌すすきのの和食炉端焼き店で、ホッケは品切れでした。
海から魚が獲れないとすると、養殖に頼ることになりましょうか。
以前からうなぎ、マグロ、フグなどは、養殖物が中心です。一応魚に煩いを自称する私でも、養殖して育て、販売する魚は、高級魚のイメージを持っておりました。もう、そんなことは言っていられないようです。
先日あるテレビ番組で、栃木県の過疎化が進んだ元温泉町で、トラフグの養殖が行われていることが、報道されておりました。
良質の塩分が含まれる温泉水を使って、山間の町で、フグを育てているのです。もともとは過疎化が進んだ町に、雇用を確保するなどして活性化する試みだったそうですが、今や温泉トラフグとして、温泉宿等からの注文が殺到していて、これが結構美味しいのだそうです。
魚は海だろうと思いきや、確かにフグの生態に合う水を使うことができて、養殖魚に不回避のストレスがない環境が整えば、美味しく頂けると思います。実は魚通を自称する私でも、天然物と養殖物は、食べてしまえばその区別がつきません。ブリやヒラメ等切り身となった一部の魚は、だいたいわかりますが。
うなぎやフグを例にするまでもなく、養殖物と天然物とでは、値段が大違いです。でも、少なくとも私の場合は、食べてしまえばわかりません。
天然物でなければダメだと仰る食通の方々は、天然物と言うブランドそのものがお好きなのでは?と考えてしまうのは、貧乏人の僻みなのでしょうか?
以前あるテレビ番組で、お笑い芸人と超人気グループのメンバーの1人が出演して、いわゆる目隠しテストに挑戦するコーナーがありました。
出題は、寿司店のマグロ、大トロがどの店の品か当てる場面で、100円寿司店から『普通の店』、そして、最近もVIPクラスが入店したところが報じられた日本を代表する超高級寿司店のそれぞれの品が、回答者の前に並びました。
結果、回答者の中で、超人気グループから参加した男性は、全問間違った回答をしました。
特に、例の超高級寿司店の大トロを、一皿100円の回転寿司店のそれと答えたのには、「放映中止にならないの?」と本気で思いました。
ここから学ぶことは、美味しければ良い、美味しいかどうかに基準はなく、人それぞれ、自分が美味しいと感じた品がいちばんだと言うことです。
魚大好き人間の私は、出張し、また、旅行するとき、海がない場所にはやや抵抗がありました。
でも、温泉フグではありませんが、これからは人間の努力により、山間の地域でも、美味しい鮮魚が食べられる日が来ると期待でき、なんだかとても嬉しくなってしまいました。
皆さん、美味しい魚を是非お召し上がりください。