犯罪を生まない、被害者を作らない

2015年3月12日
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 川崎市内で13歳の中学生が殺害された痛ましい事件は、加害少年とされる被疑者が供述したとされる内容が報道されるに従い、執拗性残忍性がアップされ、怒り驚き悲しみが増幅されるようであります。

今回のような凶悪な少年犯罪が報道されるたびに、少年法改正――2000年以降複数回改正されました――が叫ばれ、今回の事件でも、例によって一部報道週刊誌が、主犯格とされる少年の実名を報道してもおります。

与党の幹部からは、少年事件が非常に凶悪化しており、犯罪を予防する観点から、少年法の在り方を議論されなければならないと述べられました。

しかし、センセーショナルなマスコミ報道は別として、少年犯罪は、1990年台をピークに、一貫して減少傾向にあります。
人口10万人あたりの検挙人員数を算出した人口比でも同様で、減ったのは『少子高齢化社会』が原因ではありません。
『凶悪犯』とは殺人、強盗、放火、強姦を指すのですが、検挙された少年のうち1%です。特に殺人は、ここ15年減少の一途を辿っているものです。

これは、司法や警察関係に携わる者の間では常識です。

もちろん、『だからよい』わけではありません。


ただ、政府与党には、弁護士出身者が多くおりますから、『わかった上での発言』だと言いたいのです。
私は、決して今回の被疑者とされる少年たちを、政府やマスコミに反駁したいがため擁護するものではありません。
被害者はどんなに辛かっただろう、痛かっただろう、怖かっただろうと思うと皆さんと同じく胸が張り裂ける思いです。

私がかねてより気になっていたのは、被害者少年のSOSに、周りの大人が気づいていない、あるいは気になっていたのかもしれないが、手を差し伸べることができていなかったことです。

これも誤解されると嫌ですから先に言っておきますが、私は、民主党の応援者でもありません。
この事件が報じられてやれ厳罰にせよとか、与党からは少年法改正が言い出された折、

いち早く『態勢面を含め、SOSへの気づきとその対応を再考しなければならない。少年法改正は、直結しない』
と言い切ったのは、地元川崎市選出の民主党元文部科学省副大臣でした。

事件発覚後しばらくして出された被害者少年の母親のコメントが反響を読んでいると報じたのは、日頃政府与党から目の敵にされてい新聞社でした。

ここ数日、これに続く報道がみられるようになりました。

被害者の家庭は、父母が離婚し、母親が5人の子を育てるため朝から夜遅くまで働いており、親子で向き合う時間が取れなかったことを母親は悔やんでいるのでした。『今思えば、私や家族に心配や迷惑を、かけまいと、必死に平静を装っていたのだと思います』

家庭、学校、地域が一体となって子どもを守り育てる必要性はつとに言われるところです。

しかし、もはや母親の愛情だけでは子どもを守ることは出来ないと言わざるを得ません。周りの大人たちも、自分たちの生活でいっぱいいっぱいとなっています。

厚生労働省の調査でさえ、経済的に普通の暮らしが出来ない人の割合は約16%で、そのうちひとり親の家庭は過半数が、『相対的貧困』なのだそうです。もっと子どもの側にいてあげられたらと思う親は、多いはずです。

私は、犯罪を生まないことと、被害者を作らないことは表裏一体の関係だと考えます。


裁判員裁判になって、死刑判決が増えたことが、あるいは刑法犯が減少したと言う一般予防の効果があったと主張する方がおられるのならば、ひとり親、あるいは『貧困』(あえてこの言葉を使わせていただきます)の家庭に対して経済的援助を含む少なくない支援をされる制度が構築されるべきであります。

いつか述べたかもしれませんが、安倍内閣は、トリクルダウン政策は取らないと宣言されましたから、是非とも『所得の再分配』を行っていただきたい。

すべての国民が安心安全な社会で、人として尊重されて生き抜くには、犯罪を起こさせない、被害を発生させない政府の役割があると思うのであります。