自分の言いたいことを言わなければ意味ありませんね。

2015年8月24日
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8月15日は、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』です。

 

この日、日本武道館で行われた全国戦没者追悼式で、今上陛下の『おことば』に、魅入られました。

天皇の儀式出席は、憲法で限定された天皇の国事行為のひとつであり、天皇陛下が発するおことばは、内閣の助言と承認を経て行われます。

例年とおり、今上陛下は、先の大戦における深い悲しみ、戦後の国民のたゆみのない努力、平和を切望する国民意識等を述べられた後、『ここに過去を顧み、先の大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い……』と初めて言及されたのです。

 

天皇の国事行為でありますから、当然安倍内閣は、天皇陛下のおことばは、わかっていたのです。この初めてのおことば部分に関して、日本の報道機関が挙って報道したことは当然でしょう。むしろ、国外の反応こそ気になりました。 朝鮮日報や注目メディアが、日本の天皇が、『深い反省』を述べたと報道するのは、両国の歴史を考えれば驚くに値しませんが、アメリカ合衆国のメディアでも、かなりの注目度を持って取り上げられていたものです。

 

アメリカの通信社ブルームバーグは、『天皇、戦争に反省表明、安倍首相と対照的』の見出しで記事を記載し、ニューヨークタイムズは、『安倍首相の政策に対する静かな反対』との見方が強まると紹介したようです。前日8月14日の『安倍晋三内閣総理大臣の70年談話』については、ワシントンポスト紙が、自らの言葉で謝罪がなかったと論評していたのと対照的です。

 

私は、きさらぎ法律事務所にご相談に見えられる方々には、いつも『あなたは、抱えた問題をどのようにしたいのですか?』とお尋ねします。

 

ほとんどの方が、誰々から何々を言われたが、これにどう対応すればよいのか?の質問から入られます。あなた自身がどうするかが大切なのであり、別の人が乗せたレールで考える必要はないと申し上げます。 安倍晋三内閣総理大臣は、かなり以前より、過去の河野談話、村山談話、小泉談話を政府として全体として承継すると言いつつも、戦後70年の今年、『安倍談話』を発表すると各界に仰っていました。

そのための懇話会も発足しました。こうして発表された『安倍談話』は、かなりの長文ですが、主語すなわち、安倍晋三氏がどのように考え主張するのか、明確ではありませんでした。

 

私的に申せば、自分が件の問題に関してどのように考えるのか、どうしたいのかが示されない『言葉』は、意味がないのです。歴代の内閣がどう言ったとか、世界の何処かの国や地域では、何がなされて主張されているのかなんて、現職の日本国の内閣総理大臣が、言う必要はありません。

でも、私は、安倍晋三内閣総理大臣の本意ではなかったと思います。『安倍談話』が、『こんなふう』になったのは、さぞ不本意だったでしょう。いわゆる安全保障関連法案に関する政府与党に対する批判は強く、安倍内閣の支持率は低下の一途であり、私は、これ以上不支持が増えないよう、不承不承自分を出さぬこんな談話になったのだと思っています。

 

私にもわかりますが、文章を長々と書き連ねると、全体の雰囲気に惑わされ、『目くらまし』が可能です。

安倍談話に関しては、概ね高評価がなされているようです。確か何かのとき、この『ひとりごと』で私は、この夏の政治的決定、例えば、普天間基地移転問題、川内原発再稼働問題、新国立競技場建設問題、70年談話等等で、『アメ』が配られたときこそ危険と述べました。安全保障関連法案は、なんかよくわからないまま、『安倍内閣は、やっぱり変なことしない!』と思って、批判が鎮まり、法律となってしまう予想を述べたと思います。 しかし、豈図らんや、アメリカ合衆国は、ちょっと厳しいですね。

安倍晋三氏は、日本の国会に諮る前に、アメリカ合衆国に対して、この夏までに、安全保障関連法案を成立させると約束までして、『アメリカ贔屓』を示したと言うのに、70年談話を批判され、天皇陛下から釘を刺されたかの論調をされ、お気の毒ですね。

 

誰かのために善かれと信じてやっていることが報われなかったら、ガッカリです。彼の国は、日本国そして安倍晋三氏をどのように見ているか、お気づきになるとよろしいのにと思いました。