東京都知事選挙の日に逝った小さな巨星の生涯と報道で知る因縁に寄せて。

2016年8月1日
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また昭和から平成に跨って、一つの時代を構築した大横綱が、鬼籍に入りました。横綱千代の富士、九重親方の訃報が入りました。まだ61歳で、惜しむ声は跡を絶ちません。さぞかしご本人は、やり残しがあって、無念だったでしょう。

ご冥福をお祈りいたします。訃報に接した先代九重親方の北の富士勝昭氏曰はこのように言われました。なぜ強い者が先に行くのか、大鵬親方、北の湖親方、そして一代年寄の襲名を辞退した角界初の国民栄誉賞、千代の富士こと九重親方………。

横綱千代の富士は、史上3位の歴代31回の優勝を記録し、昭和最後の土俵を飾った横綱でした。その小さな鍛え抜かれた体で、大きな力士の懐に入って投げ落とす『ウルフ』と言われる厳しくも優しい目をして、現役引退後も、後進の指導に当たられ、先のとおり国民栄誉賞を受賞されました。

同じ九重部屋の後輩横綱北勝海の現八角理事長とは現役引退後も、相撲界の将来について語り合い、様々な提案もされ、また、若い貴乃花親方等に対しても、暖かく接して次の世代への期待もなさっておりました。北の湖親方しかり、なんとも早すぎやる鬼籍入りです。

九重親方は、子どものころから抜群の運動能力をお持ちでした。角界に入ったきっかけは、同郷の横綱千代の山の九重親方が、この少年の噂を聞きつけ、強烈にスカウトしたからだそうです。曰く、『飛行機に乗せてやるぞ!』この一言で、大横綱千代の富士が誕生したのです。

そう言えば、千代の山、北の富士、そして千代の富士も、また北の湖も北勝海も、北海道出身でした。大横綱大鵬もそうですね。大鵬、北の湖も同様、郷里には、千代の山千代の富士の偉業を讃える記念館が、開館しています。

千代の富士関は、まだ三役に昇進する前、土俵にたくさんの塩を投げて蒔いたことが思い出されます。また、上位陣であっても、制限時間いっぱいとなったとき、眼光鋭く目を離さないことも、印象深いです。その後さらに番付を上げ、関脇そして大関でも優勝し、横綱に上り詰められました。その中でも、大関貴ノ花を引退に追い込んだ取り組みと、横綱北の湖を破って優勝した取り組みは、まさに世代交代、ウルフ時代の到来を予感させるものがありました。

私は、それほど相撲に詳しいわけではありませんし、テレビはほとんど見たことはありませんでした。そんな私でも、千代の富士関には、因縁を感じる出来事、まさに大横綱千代の富士であるがゆえにあり得たシーンを、はっきり覚えているのです。それは、ふたりの貴ノ花との奇遇な縁です。

1980年の九州場所、既に三役に定着していた千代の富士は、人気力士大関貴ノ花との1番に臨みました。結果は、千代の富士の一方的な相撲となって、この1番で、体力の現界を悟った当時30歳の貴ノ花、その後鬼籍に入られた二子山親方は、引退を決意しました。

そしてその10年後、誰よりも貴ノ花に憧れ、貴ノ花を目標にして精進してきた1991年夏場所、若手のホープ18歳の貴花田の力相撲に、大横綱千代の富士は屈し、その2日後、体力気力の現界を理由に千代の富士は、角界からの引退を表明したのです。そうです。この貴花田こそ、後の横綱貴乃花、すなわち現在の貴乃花親方なのです。 

その貴乃花親方、今は厳粛に厳粛に受け止めていますと哀悼の意を捧げられました。まだ下積みの時代、胸を借りた大横綱から、早く上がってこい!と激励の言葉をかけられたこと、先の理事長選挙では、頑なな心を抱きしめてくれたこと等、人知れず苦労を抱えながらも、人生をかけて後進を守り抜いていただいたことは、誇りとなっていることを述べられました。

そして貴乃花親方は、北の湖理事長、九重親方、さらに父である元二子山親方初代貴ノ花は、自分の肉眼では姿を捉えられないところに往ってしまったことで、虚しく、寂しい気持ちを露わにされているのです。

大相撲は国技、しばしば日本人の横綱が誕生しないことをあれこれ言うことが聞かれます。


若・貴以降横綱が誕生しないことは事実です。でも、こうして角界の伝統は、しっとり受け継がれています。貴乃花親方はじめ次の世代は、しっかり先人の背中を見ています。東京都知事選挙の日、またひとつ巨星が落ちた思いです。合掌。