北陸新幹線で碓氷峠を超えるとき、昔日の思いが湧き出るのです。

2016年8月4日
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碓氷峠軽井沢と言えば、今年発生した悲しいスキーツアーバスの事故を忘れることはできません。

その昔鉄道少年だった私は、信越本線横川軽井沢間の勾配のための機関車連携と、停車時刻を利用して、乗客が殺到する横川の釜めしを思い出します。
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また、この『ひとりごと』でもお話ししたことがある森村誠一氏の『人間の証明』の舞台『霧積温泉』は、この辺りにあります。北陸新幹線開業により、信越本線横川軽井沢間は廃止され、横川の釜めしも、百貨店の駅弁大会やドライブインで見かける世の中になりました。でも、新幹線で通過するとき、なぜか私は、感慨深いのです。

碓氷峠は、群馬県と長野県の間にある峠です。新幹線の名前にもなっている浅間山は、軽井沢や草津からもその勇姿が望める高い山であり、長野県側は、その裾野となっているので、軽井沢から見た碓氷峠は、さほど難所ではないかもしれません。

しかし、横川から向かうと、800メートルを登ることになり、ここは『片峠』と呼ばれる江戸時代からの交通の難所でありました。そうです。鉄道が開通する前から、中山道の要所であり、横川地区は、『坂本』と言う宿場町であり、ここには関所も設けられていたそうです。この群馬県側からの急勾配ゆえに、峠を越えた長野県側では、車のスピードの出し過ぎに、注意を要します。あの悲しい事故が思い出されます。

鉄道が開通しても、碓氷峠は難所に変わりはありません。横川軽井沢間は、いわゆるアブト式と言う方法により、急勾配を上がります。そのため横川駅では、昔はED42型と言う機関車の車輪の下に歯車をつけた機関車を連結して、軽井沢まで48分かけて碓氷峠を超えました。

その後EF63型が開発されてスピードアップして、17分で結ぶことになりました。それでも機関車連結があるため、『峠の釜めし』がゲットできたのです。

私は、学生時代悪友と何回かこの峠を越えました。もちろん電車です。その都度、横川駅で走った記憶があります。売り子さんも居て、列車が発車したら整列して深々と頭をさげる姿は、駅弁売りの基本、信越本線の名物ともなっていたと思います。

今でも軽井沢駅には近くには、碓氷峠の名残りを記す機関車等が保存されています。軽井沢と言えばテニスやスキー、アウトレットやブティックまである若者の町のイメージがあります。私が学生のころも、金持ちの別荘等があって、避暑地としての人気も、博していたように思います。

北陸新幹線が開通して、横川軽井沢間の鉄道は廃止されました。碓氷峠は、新幹線が駆け上がります。でも、トンネルの中なので、あまり気づかれないかもしれませんが、登りとなる軽井沢方面に行く列車は、速度を落とします。これは、中央本線笹子峠と同じです。今でも碓氷峠を機関車に押されて越えている錯覚に陥ります。軽井沢から先は、遠くに山々は見えますが、平地が広がり、信州の広さを感じることができます。

こうして新幹線は、長野駅に到着します。

今、長野県と言えば、真田丸でしょうか。新幹線が上田駅を過ぎると、上田城址が臨めます。新幹線の車内からも、多くの人の姿が見られます。 戦国時代も、碓氷峠は、戦略上の重要な場所でした。江戸時代になって、五街道が整備され、中山道の宿場町ができても、また、明治昭和になって、鉄道が開通しても、難所であることは変わりありません。

そして新幹線が開通しても、やはり峠は峠でした。昔日の思いを巡らせているうちに、北陸新幹線『かがやき』は、碓氷峠を越えて、軽井沢駅を通過しました。

もうすぐ長野駅です。こんな『ひとりごと』を車内で書いていなければ、仕事前にも右手にあるものは……になってしまうのです。新幹線での移動、いろいろ考えてしまいます。